還らない渡り鳥のために

還らない渡り鳥のために

2009年3月  オーストラリア 西オーストラリア州 エスペランス・ウッデイ湖 フェスティバル・オブ・ザ・ウインド 2009
長 21m 幅 1.2m 高 1.9m   木 枝 砂 アオサ

還らない渡り鳥のために



還らない渡り鳥のために

還らない渡り鳥のために

さあ、ついに今、私はこの水辺にやって来た。

この岸辺にずっと置き忘れられていた、たくさんの小枝を拾い集めるために。
なぜなら、それは日本から渡ってきた渡り鳥が運んできたものだから。
私が飛行機で飛んできた八千キロを、小さな鳥がずっとくわえて飛んできたものだから。

小さないのちの形見として、一本一本、拾い集めよう。

渡り鳥はくちばしに小枝をくわえて、長く過酷な渡りの旅に出るという。
旅の途中、その小枝を大洋の波間に浮かべて、疲れた体を休める。
目的地にたどり着いた鳥たちは、その小枝を海岸に置きその地で数ヶ月を過ごす。
そして時が来ると、自分がくわえて来た小枝を再びくわえて、次の渡りへと一斉に旅立って行く。

しかし鳥たちが去ったあとの冬の荒れた海から、毎日毎日、おびただしい数の小枝が岸に打ち寄せられて来る。
その枝と同じ数の鳥が、旅の途中でいのちを落としたのだ。
土地の人はその枝を集め、冬の海辺で火を焚く。その火で暖まりながら、死んだ鳥に思いを馳せて供養をするという。

津軽地方に伝わるこの伝承が、科学的に正しいのか?
そんな詮索よりも、この美しいイマジネーションと、人々が渡り鳥に対して抱いていた愛情のこもった親近感に、
私は深く動かされる。

なぜ、ヒトは、渡り鳥に親近感を持つのか?
それは、ヒトもまた、旅をしているから。
今日の朝は、昨日の朝と同じではなく、今年の春は、去年の春とは違う。
たとえ、毎日が単調な同じことの繰り返しのように見えても。


私はこの地で小枝を集めよう。
集めた小枝を舟に載せ、湖に流そう。
今にも壊れてしまいそうないかだに載せて。
旅の途中で死んでいった鳥たちのタマシイが、再び旅立てるように。